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ご挨拶

令和4年7月のOB会総会で小深田前会長より指名を受け、伝統ある広島大学医学部野球部OB会会長を務めさせていただきますことになった昭和61年卒の眞田です。

皆様にホームページ上で一言ご挨拶をさせて頂く前にお伝えすることがあります。野球部の活動のスタートとなった昭和23年の硬式の野球チームの立ち上げの際に尽力され活躍された昭和30年卒の石津重季先生が今年の1月3日に94歳でご逝去されたとの一報が入りました。70数年にわたり野球部に対して多大な功績を残されたシンボル的存在であり、野球部そしてプロ野球の大洋・現横浜DeNAをこよなく愛され、多くの後輩が慕う先生でした。あの暖かい笑顔と、野球部愛を陽気に語られる姿が今も目に浮かびます。ここに謹んで哀悼の意を表したいと思います。 急遽となりましたが、今回お二人の先生にお願いして、石津先生の追悼文を球跡に掲載させて頂くことになりました。

さて、この度小深田前会長から会長の指名を受けたわけですが、小深田先生も西医体準優勝、全医体優勝を成し遂げられ、勢い余ってなのか8年間現役部員を続けられた野球部にとってシンボル的な先生です。学生時代には自宅に部員を招いていただき奥様の手料理をふるまっていただきながら、野球部の在り方等をしっかりと叩き込まれた覚えがあります。6年生の先輩から、これからは5年生が主将を務めるように体制を変えると言われ主将をした際には、野球部の主将は6年生がやるものだとの小深田先生の鶴の一声で、2年間主将を務め野球部の歴史に名を残せたこともいい思い出です。常日頃、広島大学野球部の医学科出身と言われている話には相通じるものを感じています。小深田先生から指名を頂いた際には、断りようもなく、そろそろ野球部に恩返しをする年齢になったのかと、会長をお引き受けした次第です。

私自身は、今では見る影もありませんが、現役時代は走攻守そろったプレイヤーを自負し、自分のプレイでみんなを引っ張るタイプの選手でしたので、細かなベンチワークは同級生の立本君に任せきりだったのが実情で、今回も彼が副会長として残ってくれるということで心強く思っています。さらに昭和61卒(小野、児玉、北平、香川、立本、眞田)はOB会等の集まりには示し合わせなくても、ほぼ全員が集まる学年で、野球部愛に満ちた学年です。6年間で西医体は4位、3位とあと一歩決勝に進めませんでしたが、一部リーグ戦優勝、中四は3回優勝と、それなりの成績は残せたかと思っています。当然ながら私たちの前後の学年に素晴らしいプレイヤー、そして首脳陣が多数いたからでもあります。カープの入団テストを受け最終選考に残った蓼原君という怪物の存在はチームを勇気づけ全体のレベルアップにつながったのは言うまでもありません。

卒業後は、福田先生、浅原先生、小野先生、江藤先生といったそうそうたるOBの在籍されている医局に入り、研修先として決まったのが中国労災病院でした。その理由に、福田先生から労災病院の軟式野球大会で1勝するための人材を送るように矢村院長(野球部の元部長)に頼まれているからと、医師ではなく野球選手として派遣先を指名されました。労災病院の大会では呉の二河球場でホームランを打ち準優勝を勝ち取りました。大阪で病院勤務していた際には、大阪の医師会野球部に呼んでいただき、遠征に行くと連れていかれた広島の対戦相手が広島の医師会野球部バッカスで、そこで大阪が勝って裏切り者と言われました。その後は現在に至るまでバッカスでの活動も続けています。バッカスではJTのグランドで、還暦の前後であった大浜先生がレフト線ぎりぎりのファールとなりましたがフェンスオーバーを叩き込まれ、まざまざと伝説の大砲を見た思いを抱きました。更にプライベートでは、横崎先生の奥さんと私の妻が姉妹であったり、立本君は私の従姉妹といつの間にか結婚したりと、野球部内で親戚関係を築けたのは、なんらかの縁を感じざるを得ません。現在の病院の院長となってからは皮膚科疾患も多く、皮膚科開業医の篠田君に定期的な往診を頼んだところ快く引き受けてくれ、産業医が必要となった際には石田君が快く引き受けてくれ、2人の病院での評判がすこぶるいいのも私の自慢の一つです。さらに年を取って始めた趣味の活動では児玉君、石田君がつきあってくれています。リハビリ専門の病院ですが、広島市民病院の脳神経外科部長には廣常先生という岡山大学の野球部の先生がいて多数の患者様の紹介をいただいています。また回復期リハビリを標ぼうする病院の院長に福田先生、そして小深田先生がいらっしゃるのも心強い限りで、野球部でのつながりをこの年になっても続けてこられる幸せを実感しています。また所属医局の大段教授が非常に多忙な中で野球部の部長を引き受けていただいていることも感謝の念しかありません。

話は変わって、昨今のコロナ禍、そしてロシアのウクライナ侵攻と世界中が混とんとした中で、これまでの生活様式、常識が一変した中、学生さんたちがどのような状況に置かれていて、どれだけ大変な思いをされているのか想像がつきません。人生の中でも、一番大切な時期といっても過言でない大学生活、その中でも部活動で得た経験は、私自身そうでしたが、その後の人生の基礎・基盤となっているのは言うまでもありません。入学式や卒業式、授業・実習等と共に部活動も大きな制限を余儀なくされたとお聞きします。元々常設のグランド持たないという不利な環境の中で、簡単に集まっての練習さえもままならず、公式戦も主要な大会が軒並み中止となり、特に西医体という最終目標が3年連続行われていないといった話も聞くと、学生の皆様に安易な慰めの言葉の掛けようもありません。

OB会そのものは杉原先生、小野先生、荒田先生、角井先生、小深田先生方が主体となり野球部後援会から新たに立ち上がった会で、H7年頃にあった第1回目の総会には今では想像もつかない100名以上の参加者があったことを記憶しています。昨今は、新臨床研修制度が影響したのか、職務そのものも多忙であるとか、その他種々の要因もあって参加者が低迷している時期もありました。 今回、小深田先生が会長となられて以降、コロナの影響で、R2年、R3年と総会開催が出来ませんでしたが、幸いにもR4年7月に総会を開催することができ、コロナ禍にもかかわらず総勢42名と多数の参加者を得て、非常に盛り上がる楽しい会となりました。

OB会の主旨、使命として、①野球部出身者の年に1回の楽しい親睦目的の総会の開催、②野球部現役部員に対する援助・支援とシンプルなものが掲げられています。今回、新執行部のメンバーに頼もしい若い先生方が多数加わり、早速昨年末に忘年会を兼ねて集まり意見を戦わせましたが、有意義な意見が多数出て、みんなの野球部に対する思いの伝わる楽しい会となりました。これからも少しずつでも新たな取り組みができるように、執行部で試行錯誤、切磋琢磨しながら活動を盛り上げて、OBの方々の総会への参加者を増やし、現役部員の方にいかに支援をできるか、そして、今の時代、現役部員の皆さんが野球部としての実質的な活動ができないまでも、卒業後、社会人となられた際に、野球部に入っていてよかったと実感できるような会にできればと思っています。新歓コンパ、追い出しコンパ、OB戦等にも少しでも参加者を増やしたいと思っていますので、皆さんのご協力もお願いいたします。このホームページも球跡同様に現役部員とOBをつなぐ場として益々の活用を進めていきたいとも思っています。

早速ですが、新たな試みとして昨年11月に行われたOB会ゴルフコンペでは総会には参加できなかった先生方も多く参加して頂き盛会裏に終わりました。今後も立本先生・篠田先生を中心として毎年の恒例行事として続けていくことになっています。

コロナの分類も変わろうとしている今、今年の総会をR5年7月8日に開催予定となって いますので(会場の関係で、今回は第2週目となっています。スペシャルゲストも既に出席の快諾をいただいています。)、多数のご参加をお願いさせていただいて、ご挨拶とさせて頂きます。

 

 OB会会長 眞田 修(昭和61年卒)